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意寺(にょいじ)は、京都府京丹後市久美浜町1845にある高野山真言宗の寺院。関西花の寺二十五カ所の第7番である。本尊は行基の一刀三礼三年と伝えられる十一面観世音菩薩である。

歴史
寺の縁起によれば、天平年間(8世紀)、行基が当地に滞在していた時、山上より霊火が出て海に入り、また海より出て山に昇る奇瑞を見て、漁師に網を引かせたところ、如意宝珠が得られたという。そこで行基は伽藍を建立して如意宝珠を納め、宝珠山如意寺と号したとされる[1]。
また、如意寺の建立にまつわる行基の記事に、「太刀宮の宝剣海中に沈没しあらん事を恐れ、漁夫に命じて網を以て探しむるに玉を得たり、依て宝珠山如意寺を起す」の記述が見られる。
鎌倉時代後期の永仁3年(1295年)、伏見天皇は正四位行左馬頭藤原定成を勅使として「如意寺」の勅額を下賜した[2]。当時は寺領500石、院家十二坊の伽藍を有していたが、応永34年(1427年)の兵火で多くを焼失した。しかし、戦国期の天文、江戸時代の寛文・寛延・寛政、また明治後期に復興事業が行われ、今日に至っている。現在の伽藍は、1963年(昭和38年)より旧地の観音山(久美浜湾西岸)から末寺大円寺跡である飛地境内地に順次移転したものである。